クレーの両親は2人とも音楽でした、その2人の影響で一度は音楽を志したクレーでしたが・・・・・

クレーと家庭環境

クレーは音楽家の両親の2番目の子供として生まれました。

父、ハンス・クレー(1849−1940)は、レーン連山地方のタン出身で、フランケン中部の教師の養成課程を受けた後、 シュッツガルトの音楽学校に入学し、そこでバッスル出身のイダ・フリック(1855−1921)に出逢うことになり、 そして2人は1875年に結婚しました。 

父、ハンスは音楽学校で声楽、ピアノ、ヴァイオリンを習い、母、イダは声楽家になるための訓練を受けていたそうです。 その後ハンス・クレーは1931年までホーフヴィルのベルン・セミナー(州立教員養成所)で音楽教師をしていました。

このように、クレーが生まれた環境は、絵に描いたような音楽一家であったわけです。

そしてクレーが学校に入学した1886年には、7歳でバイオリンを弾き始め、11歳の時には既にベルン市の管弦楽団の非常勤の団員なっていた。 さて、絵画の方は、祖母フリックがクレーにペンと絵の手ほどきをしたという伝説がありますが、 この時代、特にクレーの絵について奨励されたことなかったようです。

結局クレーは、絵の道を選んだのですが、その理由については 両親への反抗の結果ではなく、音楽という芸術は既にその頂点を越えてしまっていて、そこに新しい創造というものを見出せなかった といわれています。

しかし、後に画家となったクレーの作品に音楽は重要な影響を与えたといわれています。

「私は喜んで最終学年の前に退学したかったが、両親のためにそうはしなかった。殉教者のような気がした。 禁じられていることだけが私の楽しみだった。つまり絵を描くこと、文章を書くこと。学校終了試験をどうにか合格してから、 私はミュンヘンで絵を描き始めた」 クレーは後に彼の日記の中でこの頃のことを回想しています。 もちろん、クレーが画家への道を選んだのは、音楽に対して創造性が見出せなかったというのが正論であると思いますが、 この日記の回想からも、両親が音楽家であり、そのレールへの反抗心がなかったとは言えないのではないでしょうか。 もし、彼の両親が音楽家ではなかったとしたら、彼は迷わず音楽家への道を選んだかもしれません。

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