クレーは結婚後、経済的な理由から、子供の養育をすることになります、このことが彼の後の作品に影響を与えることになるのです。

クレーとハウス・ハズバンド

1899年12月、両親の友人宅での音楽の夕べでクレーはピアニストのリリー・シュトゥンプ(1876-1946)に出会い、 そして、1906年に結婚し10月1日、ミュンヘンのシュヴァービング地区のアパートに新居を構えました。

その頃の日記で

「私たちはふたりとも働かなければならない。これがいつまで続くかわからない。私をブルジョア的な考え方で判断することはできない」 と書いているように、クレーはまだ画家として成功を収めていませんでした。

リリーはピアノを教え、クレーは挿絵などの仕事で家計に貢献しようとしたが、うまくいかなかったようです。 そして、1907年11月に息子のフェリックスが誕生し、 必然的にクレーは子供の養育と家事の両方を受け持つことになったのです。

クレーは画家としての成功は比較的遅かったと言われています。

その原因はいくつかあったといわれていますが、まずひとつには、画家になることの両親の反対、そして音楽活動、 この頃クレーは再びオーケストラでヴァイオリンを弾き始めている、かなりの情熱と時間を音楽に費やしていました。

音楽については賛否両論ありますが、私は彼の芸術にまったく影響してないとは言い切れないと思います、確かに直接音楽が彼の芸術に 現れているわけではないかもしれませんが、もっと深い所での影響としてプラスに働いていると感じます。

そしてこの頃、クレーはハウス・ハズバンドという状況であったわけです。

クレーの「子供っぽい芸術」は息子の幼児教育の歳月から影響を受けたといわれており、彼の芸術にとって無駄な時間ではなかったと思います。 誰でも、必ず子供の時代があり子供の感性を経験を経験しているわけです、芸術家として、客観的に長い時間、子供と関わるということは また別のものなのでしょう。 

クレーの絵には、このハウス・ハズバンドという年月が必要だったのだと思います。

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